日本人の心を繋ぐさくらの名所

日本人ほどさくらの花を愛している国民はいないでしょう。欧米ではさくらは主に果実を食べるものであり、日本のように花を格別に愛する習慣はありません。しかし、さくらの花にこだわり、こよなく愛している日本人は、古来から桜の品種改良を重ねてきました。

さくらは突然変異種の多い品種であり、代表的な日本のさくらである「ソメイヨシノ」も、こうした品種改良の末に生まれてきた変異種でした。別の桜と交合すると独自性が失われるため、ソメイヨシノは接ぎ木によって増やされるのが一般的です。山や公園一面に咲き乱れているソメイヨシノは、実はたった1本のさくらから生み出され、増えてきたいわばクローンともいえる存在なのです。同じ遺伝子を持ったさくらの木が一斉に咲き乱れているのかと思うと、不思議な気持ちにさせられますね。

ソメイヨシノだけではなく、日本にはヤマザクラに代表される多くの野生種のさくらと、園芸種に改良されたサトザクラ、ヤエザクラといった園芸種のさくらが、春の景色を賑わせています。「お花見」という日本の文化は、今ではアメリカやアジアなど、海外にも広がっているのです。

さくらの名所のはじまりを紐解く

花見の文化が始まった当初は奈良時代で、中国より渡来した梅の花を見る文化であったそうです。それが平安時代頃から、さくらを見るお花見が中心になってきました。平安の「古今和歌集」には、すでにヤマザクラを歌に詠んだ句が残っています。この時代には、すでにさくらは重要な園芸品種となっています。

花見が武士の間にも広まってきたのは鎌倉・室町時代以降です。現在のような酒宴を大々的に催す花見となると、織豊時代になります。現代まで長く愛され続けている奈良の吉野山は約200種類3万本ものさくらがあるといわれています。また、京都の醍醐寺は豊臣秀吉が大規模な花見を行ったことで有名で、秀吉はこの花見のために700本ものさくらを植樹したといわれています。さくらがなければ植えてしまえばいい、というのはいかにも天下人らしいスケールの大きな発想ですよね。

花見の文化は江戸時代以降に庶民の間にも急速に広まっていきました。上野恩賜公園は江戸時代当時は名高い桜の名所だったそうです。江戸上下には上野寛永寺、飛鳥山、隅田川堤、御殿山、愛宕山、玉川上水など、数多くのさくらの名所が存在していました。まさに「花のお江戸」と呼ぶべき街であったことがうかがえますね。

現在まで受け継がれていくさくらの名所

さくらは日本人の文化と共に歩んできたといっても過言ではありません。現在まで残っているさくらの名所の多くが、古くから存在するお寺や、武家屋敷、城郭と共にあるのも、日本人にとってさくらが欠かせない植物として珍重されてきた証拠と言えるでしょう。人が集まる場所、権威のある場所には美しいさくらがあるべきだという認識があったのかもしれませんね。

近代においても、公園や大きな屋敷にはさくらが植樹されていることは多く、新たな桜の名所はこれからもどんどん増えていくのかもしれません。さくらにも樹齢がありますので、いくつかの桜の名所は消えていくことになるのでしょうが、きっと新しく生まれていく桜の名所もあるのです。日本人がさくらを愛している限り、さくらの名所が失われることはないでしょう。この流れは日本だけではなく海外に及んでおり、アメリカでは「全米桜祭り」というイベントも行われているそうです。

さくらを愛する心はすでに日本だけのものではないのです。日本の誇るべき文化としての「花見」がさくらと共に世界に羽ばたきつつあります。「さくらの名所」が世界中に生まれる日がくるかもしれませんね。

さくらを愛でて春を感じよう

春になると、気が付いたら目でさくらが咲いているかどうか探してしまうという方は多いのではないでしょうか? 毎年さくらの開花宣言を楽しみにしている方も多いことでしょう。貴方はどんなさくらがお好きですか? みんなでわいわいと宴会をする花見が好きでしょうか? それともライトアップされた夜桜を眺めにいきたいでしょうか? あるいは、誰もしらない穴場で静かに花を愛でたいという方もいるかもしれません。

ソメイヨシノや八重桜、山桜など、さくらはいつの時代になっても日本人の心をとらえ、離すことはありません。さくらをめぐって旅をしてみませんか? 桜前線とともに北上してみるもよし、自宅から気軽に行ける場所を探すもよし。だけど、さくらを見ずに春を追えるのは非常にもったいないことです。

このサイトでは様々なさくらの名所を紹介しています。貴方の春の楽しみに、ぜひご覧になってみてくださいね。きっと気に入るさくらの景色を見つけることができるでしょう。

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